私見 教育って何なんだろう。
ここ数日の記事は色々な本を読んできて、大事だなとか良さそうだなとか思ったことをそのままわかりやすく、順序立てて書いてみました。
今日はそうではなく、僕の意見を書いていく記事になります。
生徒は地毛が茶髪なのに、学校側が黒に染めろという強制について、おかしいとSNSで最近反響を呼んでいますね。
急速に携帯電話の技術、ITの技術が進み、今では1人1台スマートフォンを持つ時代になりました。
閉鎖的な空間であった学校という場所も、スマートフォンの普及により、内部の状況が明るみに出ることが多くなりました。
博多の学生が教師に暴行を振るう事件も、ツイッターに動画をアップロードしたことから発覚しましたよね。
学校側…教育側の権威というのは失墜しつつあります。もっといえばマスコミや企業、そして国も。
今回は教育側について話していきます。
僕は教育の重要性というのを日に日に増して考えています。
教育は人間性を形作る重要な要素です。
社会を回すのは仕事でもお金でもなく、最終的に人だからです。
しかし、現実は全く逆行しています。人を蔑ろにされているといっても過言ではありません。
なぜこうなったのか?原因は今の教育システムが大きいと考えています。
誤解してはいけないのは日本の教育システムはとてもよくできているということです。
このように明るみが出るまで絶対的なものであると考えてきた人は少なくないでしょう。
全員を均一化し、型にはめ込み、そうでないものは矯正し、一定のレールに乗らせ、社会の歯車にさせる。
完全に従属させる精神を鍛えるのに、最適な教育システムなのです。
ただ良い傾向として、ここ数年で疑問を持つ人は非常に多くなりました。
しかし、残念ながら疑問を持ちどうすればいいのかがわからない、または普通に順応している人が多いと思います。
たいていは後者。レールにうまく乗りさえしていれば、ある程度の生活が保障されているからです。わざわざ降りる必要…リスクを犯す必要がないと考えるためです。
疑問を抑え、我慢してしながら。
日本の教育システムはとてもよくできていると僕ははじめに言いました。
今の教育システム…教壇に立ち、暗記していい成績を取れるようにするのではなく、自主的に学び考え発言し、論理的思考や議論、提案の仕方を勉強していく方向に転換すれば、将来的にこの蔓延してしまった鬱屈した空気を変えられると信じています。
しかし先述の通り、皆わざわざレールを降りようとしないんです。だからきっと学校の教育システムは変わらない。
たとえその先にレールが無いのがわかっていてもギリギリまで走り続けるんでしょう。
今より状況はさらに大きく変わると思います。
20年ではなく5年後…もっと早いかもしれません。
でも疑問を持った人は今でも多いんです。このままではダメだと。
ならば勉強しよう、考えよう。
レールは降りなくても新しいレールを作られるかもしれないし、そもそもレールの上を走らなくても済むようになれるかもしれない。
現状に満足をしてしまうことだけは避けましょう。
少しでもよりよく考えて行動するきっかけにでもなれば幸いです。